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宇都宮地方裁判所 平成5年(わ)492号 判決 1998年3月24日

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(被告人の経歴及び第一の犯行に至る経緯)

1  被告人は、昭和一二年、栃木県今市市内において農業を営んでいた父母の一男一女の第二子として出生し、地元の小・中学校で学んだ後家業の農業を手伝っていたが、農業ではあまり収入がないことから、昭和二八年七月ころから一年間当時の日本電信電話公社(以下「電電公社」という。)の臨時作業員として働いた後、昭和三三年、同公社の試験に合格して社員として採用された。

2  被告人は、昭和三四年一二月、A子と、見合いで結婚し、昭和三六年に長女、昭和三七年に長男、昭和四一年に次女の三人の子をもうけた。A子は、長男の出産後、農閑期にパートに出始め、昭和三八年ころ、パート先の社員と関係を持ち、その後昭和四〇年ころ、義妹と共に土方仕事をするようになり、勤め先の経営者であるBと共に鬼怒川温泉に行くなどして関係をもった。これらのA子の浮気を知った被告人は、以後、A子がBと浮気していると考えてA子を責め、殴ったり蹴ったりすることを繰り返していた。

3  被告人は、昭和五四年八月ころ、脳梗塞をおこし、以後、A子との性的関係も思うようにはいかなくなった。被告人は、退院後一旦復職したものの、昭和五六年四月に電電公社を辞職して、しばらく自宅で療養したり、A子と共に、饅頭、そば等の行商をしたりした後、昭和六二年、宇都宮市内に「乙山屋」という屋号でそば屋(以下「乙山屋」という。)を開店し、長男を厨房係として営業していたが、長男が「乙山屋」を辞めたことから、昭和六三年一二月で閉店し、平成元年九月ころから同市内のガソリンスタンドの店員、平成二年には液化ガス会社でガスボンベの配達をするようになった。

4  被告人は、平成二年ころ、右ガスボンベの配達の仕事の際に丙川建設の看板を見かけて、初めてBの居所を知った。そして、被告人は、配達の行き帰りにB方付近を通るたび、A子とBのことを思い出し、悔しくてならなくなり、A子を毎夜責め立てたところ、同年五月三一日、A子は、被告人のもとを出て行ってしまった。A子は、かねてより入信していた天理教の、山梨県内にある教会へ身を寄せたのであったが、被告人は、A子の家出の二、三日前に自宅の庭先に二トンダンプのタイヤの跡があったことやA子が土方仕事に使う地下足袋を持って行ったことから、建設業を営むBがA子を囲ったものと考え、今市市内等でA子を探し回ったが見つからず、同年九月六日、Bを待ち伏せし、BにA子の居場所を問いただしたものの、答えは得られなかった。被告人は、日が経つにつれBに対する恨み、憎しみ、怒りがわいてきて、同月一二日、Bを殺して長い間の恨みを晴らすしかないとBの殺害を決意し、Bを待ち伏せして手錠を掛けてどこかの山の中に連れて行き、木の枝等にロープを掛けて、ロープの一方をBの首に巻き、もう一方を木の幹に巻き付けてロープをピンとはらせてBの足下を蹴飛ばせば首が締まって殺すことができるだろうと考え、殺害の際にはBに書き置きを書かせようと考えた。

5  被告人は、同月一三日、Bに書き置きを書かせるための便箋等を準備して出勤し、勤務終了後、ワゴン車で同県河内郡上河内村大字宮山田地内の矢白峠に向かい、同日午後五時一〇分ころ、矢白峠に到着してBを待っていたところ、同日午後六時ころBの車が通りかかったので、車道に出て手を広げてこれを止め、Bが開けた運転席の窓から手を差し入れてBの車のエンジンキーを抜き取った。そして、被告人は、「おめえは人のおっかを長い間引っ張り回してそれでも足りなくて今度は囲うというのはどういう了見だ。」などとBをなじり、警察に行って話そうなどと嘘を言って、Bを右ワゴン車の後部荷台にのせ、同人に手錠を掛けて逃げられないようにした後、同車両を発進させて運転しながら、以前A子の居場所を探した時に行ったことのある林道を思い出し、林道なら木材を一時的に積んでおく少し広くなった場所があると思い付いて、そこでBを殺害しようと考えた。被告人は、同日六時半ころ、同県塩谷郡塩谷町大字風見山田地内の林道に至り、手錠を掛けたままのBを同所に残して、徒歩でBの車を取りに矢白峠へ行き、同日午後八時ころ右林道に戻ると、Bの両足を布紐できつく縛って手錠を外したうえでBに便箋とボールペンを渡して書き置きを書くように言った。被告人は、いよいよBの首を絞めて長年の恨みを晴らそうと思い、ロープを掛けるのに適当な枝がなかったので、ロープの一方を木の幹に巻き付け、もう片方を首に巻き付けるしかないが、自分の力ではロープを引っ張ることができないので車の力を利用しようと考え、右ワゴン車の荷台においてあったロープの一端を木に結び、書き置きを書き終わったBに再び手錠を掛けたうえで、さらにA子との浮気について同人を責めた後、Bを同車両の荷台の上に横たわらせた。

(罪となるべき事実一)

第一  被告人は、平成二年九月一三日午後九時ころ、栃木県塩谷郡塩谷町大字風見山田字大平八八八番地一先林道において、同所に停車中の普通貨物自動車内の折り畳み椅子の脚部金具に掛けたタオルでB(当時六八歳)の手首を縛り、同車両付近の木に結んだロープの一端を交差させるようにして同人の首にひと巻きし、その端を端側のロープの下から輪にくぐらせ、これを一回ねじり付けて絞める「おの首縛り」という方法で、ロープを同人の首に巻き付けたうえで同車両を約一メートルほど前進させ、ロープがピンと張った状態になったところで同車両を停止させて同人の頚部を締め付け、よって、そのころ、同所において、同人を絞頚により窒息死させて殺害したものである。

(第二及び第三の各犯行に至る経緯)

1  前記のとおり、被告人は、昭和六二年ころ「乙山屋」を開店したが、その際、書道に堪能な近所のCの三女に「乙山屋」の品書きを書いてもらおうと考え、その旨依頼するためにA子と共にC方を訪ねた。その際、被告人らは、Cから二階の部屋にある三女の書道の作品を見るよう勧められ、A子のみがCと共に二階へ上がったが、帰宅後、A子は、C方の二階へ上がった時にCが嫌な感じで寄って来たと被告人に告げた。被告人は、これを聞いてCがA子の性器に手を入れてきたものと思い込み、翌朝、就寝前に閉めたはずの被告人方の縁側のガラス戸が五〇センチメートルほど開いていた様子を見て、Cが夜這いに来たと思い込んだ。しかし、被告人は、前記Bのことに関心が向かい、Cのことを強く意識することはなかった。

2  ところが、被告人は、平成三年一月、天理教信者からA子宛てに葉書が来たことがきっかけで、A子の居場所を知り、以後幾度もA子を訪ねて自分のもとに帰るよう迫ったが、A子に拒まれ、毎日いらいらして過ごし、時々Cのことを思い出して話をしなければならないなどと考えていたところ、同年七月一三日、Cが自宅近くの畑で農作業をしているのを見かけるや、「お前は女房といい思いしたんじゃねえか。垣根を越えて来たんじゃねえか。とんでもねえ野郎だ。」などと怒鳴りながら殴りかかり、Cの上唇に噛みつくなどの暴行を加え、Cに加療二五日間を要する傷害を負わせ、その後同年一〇月ころ、Cに謝罪文でも書かせて世間に公表し、自分と同じ苦しみを味あわせてやろうと考え、知人の紹介で知り合った元暴力団員に加勢を頼んでC方に赴き、CにA子との浮気の事実を認めて謝罪するよう迫ったが、CはA子との浮気を認めなかった。

3  被告人は、CにA子との浮気の事実を否定されて腸が煮えくり返るほど悔しく、Cの近くに住むことは耐えられないと考え、平成四年九月ころから今市市内の自宅を離れて千葉県内や東京都内でダンプ運転手として稼働する一方、長女等を介してA子に対し自分のもとに戻るよう説得を続けたが、A子は頑として応じないので、平成五年六月、ついに離婚を決意し、離婚届をA子に送付した。

そのころから、被告人は、仕事を終え、アパートに一人で帰り、食事を作るため包丁や鍋を持っていると自分自身が哀れで惨めでどうしようもなく、自分の人生はめちゃくちゃになったと思い、自分の家庭を崩壊させたのはA子と浮気したパート先の社員とBとCであり、パート先の社員とBは既に死んでいたが、CはA子との関係を否定し、幸せに暮らしているのは許せないなどと毎日のように考え、Cが憎く眠れない日が続いた。そして、被告人は、同月下旬ころには話し合いでは通じない相手であるCを殺してやろう、刃物で刺したり首を絞めて殺すだけなど簡単な殺し方ではCを憎む気持ちが納まらないから、Cに手錠を掛けて縛り上げ、家に灯油を撒いて火をつけてCを焼き殺してやろうと思うようになった。また、被告人は、Cの妻であるD子については、Cのそばに寝ているだろうから、D子に恨みはないが一緒に死んでもらうしかないと思い、Cの長男のEについては、C方の二階で寝ているであろうが、若いので一階で火をつけても怪我はするかもしれないが死にはしないのではないか、万が一逃げ遅れ死んでもそれは仕方がないなどと思った。さらに、犯行の発覚を防ぐためには、犯行の翌日、東京都内で普段どおりに仕事をする必要があり、朝までに東京に帰らなければならないが、犯行が深夜になって電車がなく、また、自分の自動車を運転していて見つかると自分の犯行であると発覚するおそれがあることから、犯行後、東京まで自動車で送ってくれる協力者が必要であると考え、以前からの友人Fならば、Bの待ち伏せ等に協力してくれており、金に困っているから、二〇万円の報酬を出せば、こうした依頼に応じてくれるものと考えた。

4  そこで、被告人は、同年六月二六日ころ、F方を訪ね、二〇万円の報酬で人を殺して家に放火する際の自動車の運転を依頼したところ、Fは、当時、女遊びに使う金に不自由しており、金が喉から手が出るほど欲しかったことから、躊躇はしたものの、この依頼が具体的ではなかったこともあって、それを承諾した。そして、被告人は、同年七月一〇日ころ、再びF方を訪れ、殺害する相手がCであることや、手錠を掛け、その後首を絞めて殺し、灯油を撒いて火あぶりにするといった具体的な犯行の方法について話し、再度犯行に加担するよう頼んだ。Fは、これを聞いて、被告人が、自動車の運転以上のことを手伝ってもらいたいのではないかと考えたが、被告人に対し、それまでやくざとの付き合いがあるなどと虚勢を張っていたこともあって、知人から取り上げて持っていたスタンガンを使用してCを気絶させるなどCの殺害に加担し、また、放火についてもガソリンや灯油を撒くことぐらいはしてやろうと考え、被告人にスタンガンを示し、これでCを気絶させてやる旨を告げた。さらに、Fは、被告人からD子が被告人らの犯行に気づいた場合には同罪だと聞かされたことから、D子にもスタンガンを放電させることになるかもしれないし、また、同女を殺害することになっても止むを得ないと考えるようになり、被告人とFとの間で、C及びD子の殺害並びにC方居宅に対する放火の共謀が成立した。また、被告人とFは、犯行を同月二〇日に行うこととし、被告人は、Fに対し、報酬の前金として一〇万円を渡した。しかし、なお大罪を犯すことにためらいを感じたFが、約束の二〇日には、結局心の準備ができず、約束の場所に行かなかったため、被告人は、約束の場所まで行ったものの、同日の犯行を断念した。その後、被告人がFに電話をかけ、「馬鹿野郎、お前逃げやがったな。」「おめえんちだって燃しちゃっておめえを殺すことだってできんだからな。」などと言い、また、Fも、一旦、被告人と約束して一〇万円の前金まで貰っている以上、後に引くわけにはいかないと考えたことから、被告人とFは、改めて同月二七日深夜に犯行を決行することを決めた。

5  被告人は、同月二七日午後一〇時ころ、最終電車で東武鉄道日光線下今市駅に到着し、自動車で迎えに来ていたFと落ち合い、翌日午前一時ころ犯行を実行することにして、同人方に行き、同所で、Fに報酬の残りの一〇万円と犯行後に東京まで行く道順が記載されたメモを渡した。被告人は、Fと共に、翌二八日午前零時三〇分ころ、同所から前記自動車で被告人の自宅に向かい、同所でかねてより用意しておいた灯油入りポリタンク、ガソリン入りポリタンク、ガムテープ、洗面器、ローソク及び懐中電灯等を自動車に積み込み、Fを待ち合わせ場所と決めたC方から約四〇〇メートル離れた農道まで先に行かせ、自分は着替え等を入れたナップザックを背負い、軍手をはめ、手錠、切り出しナイフ及びガラス切りを入れた手錠ケースと木製梯子を持ってC方に向い、同方の北側に右梯子を置いた後、Fの待つ農道へ行った。

その後、被告人らは、ポリタンク等の道具を持って、C方に向かい、途中、福生寺で休憩し、C方の様子をうかがっていたところ、C方の明かりが消えたので、同日午前一時五〇分ころ、C方北側の鍵が掛かっていない脱衣所のガラス窓を開け、そこから被告人、Fの順でC方に侵入した。

(罪となるべき事実二)

第二 被告人は、Fと共謀のうえ、平成五年七月二八日午前一時五〇分ころ、栃木県今市市《番地略》所在のC方において、二階で寝ていると思っていたE(当時四一歳)が一階六畳の茶の間におり、同人が被告人らの存在に気がついたことから、咄嗟に、Eの顔面に所携のスタンガンを放電させたり、同人の頭部・顔面等を手拳で多数回殴打するなどの暴行を加え、よって、同人に全治約二四日間を要する頭部打撲・挫創、胸部打撲、右眼結膜下出血の傷害を負わせ

第三 被告人は、Fと共謀のうえ、C(当時七四歳)を殺害し、同人の妻D子(当時六八歳)については気づかれた時は殺害するのも止むを得ないと決意し、さらに、右C方居宅に放火することを企て、前同日時ころ、

一  C方一階六畳居間において、被告人が、Cに対し、殺意をもって同人の前胸部を鋭利な刃物で四回突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を前胸部刺創による大動脈及び肺損傷に基づき失血死させて殺害し

二  その後、C方一階六畳茶の間において、被告人が、D子に対し、殺意をもって同女の左胸部、右前頚部を右刃物で突き刺すなどし、よって、そのころ、同所において、同女を胸部刺創による左肺損傷及び右総頚動脈損傷に基づき失血死させて殺害し

三  前記各犯行後、被告人が、C方一階南側廊下及び六畳居間に倒れていたCの足元付近などに、持参したポリタンクに入ったガソリン約三リットルを撒いたうえ、同人の足元付近にあった座布団の角に所携のライターで点火し、同人及びEが所有する木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅の床、天井等に火を燃え移らせ、その結果、同人が現に住居に使用している右家屋一棟(床面積合計約一〇八・〇六平方メートル)を全焼させて焼燬し

たものである。

(証拠の標目)《略》

(事実認定の補足説明)

一  被告人は、罪状認否では、各公訴事実を認めていたが、その後の公判廷において、D子殺害について、二回の刺突行為とも、被告人がCを刺して呆然と立っていたところに、D子が駆け寄って来たために刺さったものであり、少なくとも二回目の胸部への刺突行為は殺意をもって行った旨の捜査段階での供述は、捜査官の誘導や押し付けによってなされたものである旨述べて事実を否認している(第九回、第一一回及び第一二回公判調書中の被告人の各供述部分)ので、以下、この点の事実認定について説明する。

二1  被告人の捜査段階での犯行状況に関する供述内容の要旨は、『C方の茶の間奥(西側)に進んだところで、同茶の間の炬燵の南側にいたEに「誰だ。」と声を掛けられ、Eに駆け寄りもみ合いになった。そこに、Fが来てEを殴り、スタンガンを使ったが、これを誤って被告人の左手に押し付けてしまい、被告人が手を緩めた隙にEが逃げ出し、FもEを追うように逃げた。そこで、Eらを追って台所に入り込んでしまったところ、Cの「何だ。」「誰だ。」と怒鳴る声が聞こえたので、流し台の上にあった果物ナイフみたいなものを持って茶の間に戻り、Cが戸の付近(茶の間の西側仕切線付近)に立っているのを確認してCのそばまで進んだ。その場でCとつかみ合いが始まったがすぐにナイフを落としてしまい、Cに両手首を捕まれたので身体ごとぶつかってCを押し倒したが、倒れたCから両足で腹を突き飛ばされ、尻餅をついてしまい、そこで先に落としたナイフに手が触れたので、ナイフを腰にかまえて立ち上がりCを刺そうとしたところ、Cに両手首を捕まれた。そこで、腰をかがめてCに覆い被さり、身体でCを押しつぶすようにしてナイフをCの左胸に三回刺し、立ち上がって右手に持ったナイフを、右胸あたりに刃先を前方に向けて持っていたところ、「何すんだ。」と言いながら体当たりしてきたD子の首あたりに刃物が突き刺さってしまった。これを抜いて、今度は殺してやろうと考えて思いっきりD子の胸あたりを目掛けて突き刺し、刃を抜くと、D子は反対方向に頭を向けて仰向けに倒れた。』というものである。そして、前述のとおり、被告人は、公判段階では、D子に対する刺突行為は、二回ともD子が駆け寄って来たために刺さったものである旨供述している。

2  しかし、右被告人の供述内容は、以下述べるとおり到底信用できるものではない。

(一) まず、Eの供述は、『被告人は、Eへの攻撃をFに任せると、Cが寝ている茶の間西側の寝室へ向かい、その後、茶の間の炬燵の南側や西側でEとFがとっくみ合いとなったところ、D子の声とほぼ同時にCの「何だ。」というような声が聞こえ、Cの寝室から「よし。」というCでない男の声で何かを自分で納得したかのような声が聞こえ、それと同時くらいに茶の間とCの寝室との間の廊下の南側に北東を先にして倒れたCのパジャマのズボンの先が見えた。Eの抵抗で一瞬Fが離れた隙にEは逃げだした。』というものであり、Fの供述は、『被告人がEをFに任せて茶の間の西側へ行ってしまった後、EとFがとっくみ合いをしていると、D子の「やめろよ。」という声がし、それとさほど間をおかずに「何やってんだよ。」というEでも被告人でもない年寄りの男の声が聞こえた。Fの手が緩んだ隙にEが逃げ出し、Fも逃げ出すことにして被告人を探すと、茶の間西側の廊下のところに、足を延ばして仰向けの状態で全く身動きをせずに寝転がったようになっているCと思われる男の上に、覆い被さっている被告人を見た。』というもので、両者の供述はほぼ一致すること、Fは、D子が「やめろよ。」と言いながらFの右足につかまってきたため、スタンガンでその頭部を殴りつけたところ、D子は、少ししてからズルッという感じで崩れ落ちてしまい、Fが逃げる時には仰向けの状態で足の方を炬燵の方に入れており、全く身動きをしていなかったこと、Eの抵抗でスタンガンは茶の間西側の廊下の方へ飛んで行ったこと等も供述しているが、右F供述も、D子の死体発見位置や、スタンガン様の残焼物の発見位置ともほぼ一致していることからみて、E及びFの供述は、十分信用できるものである。そして、これらの供述からは、E及びFの逃走前に被告人によるCへの攻撃が開始され、Cはその死体発見位置とほぼ同じ位置で抵抗できない状態に陥っていたと認められるところ、被告人の供述は、F及びEの逃走後Cらへの攻撃を開始したとする点において、基本的にくい違っている。

(二) また、右F供述によれば、D子は被告人のCに対する殺害行為の終了前にFの暴行によって倒れていたと認められ、その時の位置はD子の死体発見位置とほぼ一致すること、一方、被告人の指示によるD子の倒れた状況は、D子の死体発見位置及びその際のD子の死体の状況とくい違っていること、D子は老齢で胃ガンを患っていたこと、被告人らのC方の侵入から火災警報が鳴らされるまでの時間は約一〇分間であり、C方の隣人が、C方から聞こえた音について、『午前一時五〇分か午前二時近く、突然家の外から何か言い争っているような男の声が聞こえ、男が一対一で何か言い合っていて、その間に女の人のような声が聞こえたような気がしたが、言い争っているような声はほんの一〇秒位で終わり、その直後にガラスのコップを投げつけた様なバリーンという音や、ドタン、ドスンという、人が押し倒されたような音、さらに、人が力を入れるときに出すようなウオーッ、ウーッといううなり声が聞こえ、それらの物音や声もほんの三〇秒かそこらで聞こえなくなり、静かになってしまい、すぐに今度は男の声で何か一声大きな声が聞こえたかなと思ったら、駆け足で走る足音がして、足音が聞こえなくなってからは何も聞こえなくなった。』旨供述していることからみて、被告人がC及びD子殺害に要した時間はわずか数分間であると認められ、D子が、Fの暴行によって倒れた後わずかの間に立ち上がって被告人に立ち向かったとはおよそ考えられない。

(三) 以上、被告人が供述するC及びD子の殺害状況は、F及びEの供述により認められる事実と大きなくい違いがあり、また、D子の死体発見位置など客観証拠とも矛盾するものであって、およそ信用できず、D子が駆け寄って来たためにその頚部や胸部に被告人の持っていた刃物が刺さったなどとは到底認められない。

3(一)  D子の殺害状況及びD子に対する殺意に関する供述変遷の理由について、被告人は、公判廷において、捜査官の押し付け及び誘導による旨主張しているが、D子の遺体についての鑑定書によれば、D子の遺体に認められる二個の損傷のうち、左前胸部の刺創は、片刃器のほぼ後方に向かう刺入によって形成されたもので、胸腔内で二度突き刺されているものであり、その形状から見て故意の刺突行為によるものと考えられるところ、被告人の捜査段階での供述は、右鑑定結果と一致すること、被告人の司法警察員に対する供述調書(乙7、8)には訂正・追加部分があり、司法警察員に対してD子の殺害状況を供述した調書(乙9)では、体当たりしたD子の首か胸あたりに刺さった刃物を抜いて、今度は思いっきり胸あたりを目掛けて突き刺した旨の供述の後に、問答体で、D子を刺したのは殺そうと考えて刺した旨確認しており、さらに、被告人が特に取り調べについて不満を述べている検察官に対する供述調書(乙20)でも、C及びD子に対する行為や殺意に関する部分については詳細に問答体で録取されており、右に指摘したFらの供述や客観証拠とくい違う点についても結局被告人の主張が維持され、末尾に訂正部分もあること等から見て、これらの調書は、被告人が取調官に押し付けられるままに供述したものを記載したものではなく、被告人の任意の供述を録取したものと認められ、公判廷における被告人の右主張は信用できない。

(二)  そして、右のとおり、被告人の任意の供述を録取したものと認められ、公判供述よりは信用できる内容である被告人の捜査段階での供述によれば、被告人は、Cのそばにいる以上、D子に恨みはないが死んでもらうしかないと考えたとのことであり、D子の左前胸部の損傷については、その形状から故意の行為によるものと認められることも併せ考えれば、被告人は、当初の予定どおりD子に対する殺意を実現させたと考えるのが相当である。

4  以上のとおりであって、客観証拠やE及びFの供述から認められる事実を総合すると、D子の右頚部及び左胸部の損傷は被告人の故意の刺突行為によるものと十分認められる。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は平成七年法律第九一号附則二条一項により同法による改正前の刑法一九九条に、判示第二の所為は同法六〇条、二〇四条に、判示第三の一及び二の各所為はいずれも同法六〇条、一九九条に、判示第三の三の所為は、同法六〇条、一〇八条にそれぞれ該当するところ、所定刑中判示第一、判示第三の一及び二の各罪についてはいずれも死刑を、判示第二の罪については懲役刑を、判示第三の三の罪については有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第三の一の罪の刑で処断し他の刑を科さないこととして、被告人を死刑に処し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

第一  争点

弁護人は、被告人は、本件各犯行当時、精神病により、自己の行動につきその是非を弁別し、これに従って行動を制御する能力を欠いていたか、または、その能力が著しく低下していたものであるから、責任無能力であるか、または少なくとも限定責任能力である旨主張しているので、以下この点について判断する。

第二  当裁判所の判断

一  基礎的事実関係について

被告人の責任能力を判断するうえで基礎とした事実は、前記各犯行に至る経緯及び各罪となるべき事実並びに関係証拠によって認められる以下のとおりの事実である。

1 被告人は、結婚後、農作業があまり上手にできないA子と農業のことや日常的なつまらないことで喧嘩をし、その際にA子を殴ることもあったが、大きな喧嘩はなくすぐ仲直りしており、傍目にもその夫婦仲は順調に見えた。

A子は、長男の出産後、農閑期に働きに出たパート先の社員と関係をもった。被告人は、A子が急におしゃれして化粧も厚くなり、A子のタンスの中から被告人との性交時には使用しないコンドームが発見されたことから、A子を問いつめ、A子が浮気を認めて謝ったので、子供がいることもあり、勘弁した。被告人は、A子の浮気相手に、A子に手を出したと言って五〇万円要求したが、A子との関係を否定した相手方からその支払いを拒まれると、あきらめて引き下がった。このころから、被告人は、A子の浮気を責めて暴力をふるうようになり、A子が近所の家に助けを求めて駆け込んだことも幾度かあった。一方、A子自身は、自分の浮気を認め、被告人と姑がお金をくれないからお金で関係を持った旨自ら近所に話すような有様だった。このような出来事があったことから、被告人は、次女は自分の子でないと考え、周囲にもそう言い、その後も、A子は浮気している、ぶん殴ってやったら白状したなどと言って姉のところへA子を連れていって謝らせたりし、A子も申し訳ありませんなどと言っていたが、A子の浮気の具体的な事実や証拠はなかった。

A子は、昭和四〇年ころ、勤め先の経営者であるBと共に鬼怒川温泉に行くなどして関係をもち、これを知った被告人から暴力をふるわれて近所に駆け込むという出来事があった。これが原因で、A子は、土方仕事を辞め、一か月ほど実家に戻ったが、A子の父が謝ったことで、被告人のもとに戻った。しかし、その後も、被告人は、A子がBと浮気していると考えてA子を責め、殴ったり蹴ったりすることを繰り返していた。

2 被告人は、昭和五四年八月ころ、めまい、冷や汗を訴え、入院した。その病名は判然とはしなかったが脳梗塞と疑われ、主症状は嚥下障害で、精神病的な症状はなかった。被告人は、入院中、病室内でA子と度々喧嘩し、A子に乱暴したり、自分が食べられない刺身をA子が食べているとA子に何度となくつばをひっかけたりし、一方、A子も、被告人の同室の患者の家族に、被告人にぶっ飛ばされたとかお金がもらえないなどとぐちを言ったりしていた。被告人は、昭和五五年四月、電電公社に復職したが、昭和五六年四月二〇日、同公社を辞職した。同公社勤務当時の被告人は、職場の同僚によれば、分厚い書類もきちんと整理して片づけて仕事ぶりはスムースであったが、心の奥は何を考えているのか分からないところがあって、心を開いて何でも話せるという人ではなかったとのことで、病後の職場復帰後は休みがちで、身体の調子が悪いと言いつつ無免許であるのに勤務中自動車に乗っていたことから、上司に転職を勧められ退職に至った。

被告人は、しばらく自宅で療養した後、A子と共に、饅頭、そば等の行商を始めた。そのころは、被告人は、A子が自分と常に一緒であったので、浮気はしていないと思ったが、A子が男性客と少しでも長話するとやきもちを焼いて暴力をふるったり、行商中にA子と喧嘩して山の中にA子を置き去りにしたことが何回かあった。被告人とA子は、昭和五八年ころ、夫婦げんかが絶えなかったことから、知人の勧めで創価学会に入会したが、その後も夫婦仲は良くならず、昭和六〇年冬ころにも二度ほど、A子が被告人に暴力をふるわれたと言って反狂乱で近所に逃げ込むということがあり、同年、被告人とA子は、夫婦仲がよくならないからと言って、創価学会を退会した。

A子は、昭和六一、二年ころから、気晴らしに、友人とともにカラオケ屋へ行くようになった。被告人は、A子の浮気を心配して、カラオケ屋通いをやめさせようとし、A子のタンスやカラオケの道具をナタで壊したりA子の新しい服をはさみで切り刻んだりした。また、被告人は、A子の浮気を疑ってA子のタンスの中を見、男性の名刺等を発見して、その男性とA子が浮気をしていると思い込み、相手方へ、「俺の女房をどこに隠した。タンスの中にお前の名刺が入っていたぞ。」などと半ば脅迫じみた電話をしたこともあった。

3 被告人は、饅頭の商売は順調であったが、体が疲れるので、長男と共にそば屋を経営しようと考え、長男に会社を辞めさせてそば屋に修行に出し、昭和六二年、宇都宮市内にそば屋「乙山屋」を開店した。このころ、前記第二及び第三の犯行に至る経緯1認定のとおりのいきさつから、開いていたガラス戸を見て、Cが夜這いに来たと思い込み、A子とCの浮気を疑った。

被告人とA子とは、「乙山屋」を開業していたころも、やはり、仲のいい状態ではなかった。被告人は、A子がちょっと何か言おうものなら目をひきつらせて「てめいは関係ないんだ。だまっていろ。」とまるで喧嘩でもやって怒鳴りつけているような口調で言うことが度々だった。A子は、常に生傷が絶えず、被告人から客としゃべりすぎると怒鳴られて首を手で締められたと言って首にあざをこしらえていたり、真冬に外に出されていたこともあり、姉等周囲の人間に、被告人は、A子が得意客に注文を取りに行くと長すぎるとか、お新香等サービスすることはないと言って殴ったり蹴ったりするなどとぐちをこぼしていた。「乙山屋」の従業員は、被告人のことを、けちで、すぐ大声で怒鳴ったり、A子に暴力をふるったりする短気で粗暴な人だと考えていた。しかし、一方で、A子は、店の女性従業員に向かって自らの男性との交際を話したり、他の女性従業員と被告人とが浮気しているような噂を流したりもし、それに絶えきれず従業員が店を辞めるということもあった。また、A子は、腰が痛いといって「乙山屋」をしょっちゅう休んで家にいたが、昭和六三年の夏ころ、家に鬼怒川温泉の新しいマッチがあるのを見つけた被告人に問いつめられて、一〇日程家出し、近所の人の取りなしで被告人のもとに戻ったということもあった。

また、被告人と長男との仲も、長男の交際相手が被告人の気にいらなかったことが原因で不仲となり、一時期は、「乙山屋」は長男夫婦に任せるという話になっていたが、被告人が「乙山屋」のことに口出しをし、店の経理面がおかしいなどと言い出したので、腹を立てた長男夫婦は同年一二月末ころ「乙山屋」を辞めてしまった。そして、「乙山屋」も閉店したが、平成元年三月、原因不明の火災で焼失した。当時、被告人とA子の仲は一段と悪化し、A子は、周囲の者に、離婚したいが被告人がきかないと言い、「乙山屋」の火災も被告人が放火したに違いないなどと言いふらしていた。

4 被告人は、同年九月ころから宇都宮市内のガソリンスタンドで灯油の配達やスタンド内の給油等のアルバイトをするようになった。被告人は、客とのトラブルもなく、まじめで、年齢も高かったせいもあり、温厚な人という印象を周囲に与えたが、同年一二月ころには出勤しなくなり、ガソリンスタンドの店長に対して、月給が一五万円で安いから最低でも二〇万にして欲しい、でなければ辞めるなどと言って同月三〇日付けで辞めてしまった。その後、被告人は、平成二年一月末ころから、今市市内の液化ガス会社の営業所に勤務し、ガスボンベを積んだ四トントラックで得意先をまわってガスボンベの交換をする仕事を始め、入社後半年くらいは一か月に二、三日くらい休んだり早退したりし、無断欠勤もするような状態であったが、営業所長に注意されるとこれも改まった。被告人は、上司には、仕事は一生懸命で同僚や客ともめることもなく穏やかな人という印象を与えていたが、一方で、無口で無表情で何を考えているか全く分からない男との印象もあり、同僚や得意先の目には、口数が少なくいつも薄笑いを浮かべて、与えられた仕事だけはやるといった人、とても低姿勢でぺこぺこ頭を下げたりして、話すときも顔を見ないで下を向いて話をするような人と映っていた。また、被告人は、ユニックの操作が乱暴でガスボンベをトラックや得意先の施設にぶつけたり、ガスのコックの閉めわすれが四、五回あるなど、せっかちで荒っぽい面もあり、勤務中に交通事故を二度起こし、一度目は平成二年三月下旬か四月初旬ころ車の左半分を路肩から逸脱させたもの、二度目は同年九月二〇日ころ前回とほぼ同じ場所で直角に近いカーブのすぐ手前で左側にある電柱に車を衝突させたもので、被告人は対向車を避けるため左に寄りすぎたなどと言っていた。

5 被告人は、右ガスボンベの配達の仕事の際に丙川建設の看板を見かけて、初めてBの居所を知った。そして、被告人は、配達の行き帰りにB方付近を通るたび、A子とBのことを思い出し、悔しくてならなくなり、A子を毎夜責め立てたところ、平成二年五月三一日、A子は、被告人のもとを出て行ってしまった。A子の荷物を運びA子を前述の天理教会へ連れていったのは、長男とその雇用主であったが、長男もその雇用主も被告人にA子の居場所を告げなかった。被告人は、同年六月一〇日、長男を通じてA子に連絡をつけ、自宅に子供たちや兄弟等を集めた席で、鬼怒川温泉のマッチ等を出してA子の浮気を責め、A子から「腰が痛いのに金がないと言って入院させてもらえなかった。こんな人嫌だから離婚する。」などと言い返されると、さらに、「腰が痛いのは男と遊んでいるからだんべ。」などと言って、過去のパート先の社員とA子との浮気のことをもちだし、次女は自分の子でないだろうと言い出した。結局、A子は、話の途中で被告人方を飛び出してしまった。被告人は、A子の家出の二、三日前に自宅の庭先に二トンダンプのタイヤの跡があったことやA子が土方仕事に使う地下足袋を持って出ていたことから、建設業を営むBがA子を囲ったものと考えたが、その証拠がなかったことから、Bに直接尋ねてもはぐらかされるだろうと考えて、Bに直接尋ねることはせず、A子の家出後しばらくはA子を捜したりもしなかったが、同月一九日、警察に対し、「原因は異性関係。若いころから浮気性で、家出の一〇日ほど前に家人と口論になり……。」などと述べて、A子について家出人捜査願を提出した。また、以前A子がBと鬼怒川温泉へ行った折に同行していたBの友人ならば、BがA子を囲っているかどうか知っているかもしれないと考えて、右Bの友人にその旨尋ねたが、A子の居場所を知ることはできなかった。被告人は、長男や知人にA子探しに協力するよう頼んだがいずれも断られ、同月末ころから、一人でA子の写真を持って、今市市、塩谷郡藤原町、塩谷町、上河内村等の食料品店等を尋ね歩いたり、丙川建設の従業員やBの近所の家の者にA子のことを尋ねたりしたが、A子の居場所は分からなかった。しかし、被告人は、Bが五〇代の女性職員を送迎していることやBの会社には五〇代の女性が二人いてBを取りあったとの噂を聞き、BがA子を囲っているに違いないと考え、いろいろ思いを回らせよく眠れなくなった。被告人は、Bの車を追えばA子の居場所も分かると考えて、何度もBの車を追跡したが、Bの運転する車に追いつけなかったため、同年九月二、三日ころ、職場の同僚のFに頼んで、Bを待ち伏せしたが、Bが通りかからず、目的を達することができなかった。被告人は、更に、同月六日、矢白峠においてBを待ち伏せし、通りかかったBの運転する車を止めて、BにA子の居場所を問いただしたものの、答えは得られなかった。

その後、前記被告人の経歴及び第一の犯行に至る経緯4、5及び罪となるべき事実一認定のとおり、Bを殺害した。

6 Bの殺害の際、被告人は、立木とBの首にロープを縛ってワゴン車を前進させたうえで、運転席から降りてBの様子を見ていたところ、Bが苦しそうな息をし始め、ツーツーとかグーグーという往復いびきのような大きな音を出していたので、その姿を見ているのが気持ち悪く、Bから少し離れてその死を待った。約一五分か二〇分ほどでBの息が止まったので、被告人は、同車両をバックさせ、ロープ、タオル、手錠をBからはずし、Bの遺体をBの車に乗せようとしたが、重くて運べなかったため、Bの遺体を乗せたまま右ワゴン車で自宅まで渡り板を取りに行った。

被告人は、同日午後一〇時ころ自宅につき、渡り板を持ち出したが、これまでのBに対する恨みや憎しみ等がまた湧いてきて、殺しただけでは恨みは晴れない、ガソリンをかけて車ごとBを燃やしてやれという気になり、ガソリン入りの赤色ポリ容器、マッチも持ち出して、Bの殺害場所へ戻った。そして、被告人は、右渡り板を使ってBの遺体をBの車の運転席に押し込み、Bに書かれた書き置きをBの車の車検証の姿と一緒にして同車両から離れたところに置くと、ガソリンを同車両の座席やBの遺体にかけ、火をつけたマッチを同車両内に投げ入れて点火した後、右ワゴン車でその場を離れ、途中、Bの殺害に使用したロープ、タオル、布紐、軍手、渡り板を捨てて帰宅した。なお、右書き置きには、「A子さんと三十年前に関係を結び、平成二年六月上旬より今市市森友のGさん宅に間借りして居ます。」「私も疲れましたので、さようなら」などと記載されていた。

Bの遺体は、同月一五日発見され、自殺の動機がないことから殺人が疑われ、警察は被告人から事情聴取をしたが被告人は関与を否定し、以後捜査は継続された。被告人は、Bの遺体発見を報じる新聞記事を見て、長年の恨みをやっと晴らすことができたと改めて感じ、記念に記事を切抜き、コピーもとって保存しておいた。また、Bの書き置きに書かれていた今市市森友のG方へ行き、「二階見せてくれ、女を匿っているだろう。」などと言ったが、家人に拒絶されてあきらめた。

7 被告人は、平成三年一月、天理教信者からA子宛てに葉書が来たことがきっかけで、A子が天理教の教会に身を寄せていることを知り、長男らを問いただし、A子が山梨県内の天理教会にいることを知った。そこで、被告人は、同月、右教会を訪ねたが、一月後に出直してくるよう教会長から言われてA子には会えず、同年三月に再度訪ねたところ、A子が絶対に帰らないと言ったので連れ戻せなかった。更に、被告人は、同年四月に訪れた際に、被告人がA子に対し、帰ってこいと再三言ってもA子がこれを拒否するというやり取りが続いて、感情的になり、A子につかみかかろうとし、信者の一人になだめられて帰ったものの、その三日後に再び訪れ、興奮して大声を出し、車の助手席から布を巻いた長さ四、五〇センチメートルの刃物のような物を持ち出すなどし、信者からやくざ言葉で啖呵を切られて、しぶしぶ帰ったが、教会の裏に逃げたA子とはちあわせをして、A子を力尽くで連れて行こうとして乱暴をし、A子の腕に怪我をさせるに至った。その後、被告人は、天理教会の者に仕返しをするため、同年九月二九日午前二時ころ、送り迎えをFに頼んで同教会へ行き、同教会の地下に火をつけるようなこともした。

8 被告人は、同年四月にA子を訪ねた後、毎日いらいらして過ごし、時々Cのことを思い出して話をしなければならないなどと考えていたところ、同年七月一三日、自宅近くの畑で農作業をしているCを見かけ、急に、CがA子と夜這いまでして浮気していたことを思うと許せない、話をつけようと考え、第二及び第三の犯行に至る経緯2認定のとおりCに暴行を加えて傷害を負わせたが、近所の人が通りかかり、Cの家族も駆け付けたことから逃走した。Cは、被告人とは近所でもあり、被告人が執念深く何をされるか分からないという噂もあったので、刑事事件として被害の届出をしなかった。

被告人は、同年一〇月ころ、Cに謝罪文でも書かせて世間に公表し、自分と同じ苦しみを味あわせてやろうと考え、知人の紹介で知り合った元暴力団員に、Cは「俺が悪かった。」と認めているので金をとってくれるよう頼み、長男や右元暴力団員らと共にC方に赴き、右元暴力団員が、「昭和六二年七月ころ真夜中にA子の寝室に忍び込み関係を結び、以後数年間にわたり同じ事を繰り返していた。」などと記載した書面を読み上げて、Cに対し、右文面を認めて署名するよう迫ったが、Cから、身に覚えがないことだとして署名を拒否された。被告人とC側との間で押し問答が繰り返されたが、CはA子との浮気を認めなかったところ、被告人は、小さい声で俯きながら、「もう裁判でも何でも、とことんやります。」と言って帰った。

10 被告人は、CにA子との浮気の事実を否定され、A子とのことは間違いないのにCは白を切っていると思い、腸が煮えくり返るほど悔しかったが、ぶらぶらしていては食べていけないし、仕事で悔しさを紛らわせようと考え、自動車学校に通い、大型免許を取得して平成四年一月ころからダンプの運転手として働き始め、Cの近くに住むことは耐えられないので、同年九月ころから今市市内の自宅を離れて千葉県内で仕事に就いたが、ダンプの運転が下手であったり、重量オーバーの反則金を支払うことが他の運転手より多かったり、運転手仲間ともうまくいかず、無断欠勤もあるような状態であったなどの理由から、二か月間から五か月間の短期間で勤務先を変わった後、平成五年二月、東京都江東区木場で木材運搬の仕事につき、同区内で暮らし始めた。そこでの仕事ぶりは、一回も無断欠勤や遅刻は無く、真面目であったが、家賃や共同費について何かと難癖を付けて払わないといった面もあった。

一方、被告人は、同年四、五月ころ、A子が被告人のもとに戻るよう、長女らにA子の説得を頼んだが、A子から暴力をふるわないことや三か月間天理教で教育を受けること等の条件を付けられ、ついに離婚するほかないと考えて、同年六月、離婚届をA子に送付した。

その後、前記第二及び第三の犯行に至る経緯3から5及び罪となるべき事実二認定のとおり、各犯行を行った。

11 被告人は、C方へ放火した後、徒歩と自転車で宇都宮駅まで赴き、新幹線で東京都江東区内のアパートに帰宅し、同月三〇日まで平常に勤務して、同日付けで退職し、右アパートを引き払い、以後浅草のカプセルホテルで生活していた。同年八月三、四日ころ、被告人から連絡をして長男と会った際、長男から警察が来たし何があったのかと尋ねられて、板橋の事件(判示第二及び第三の各事実)は自分がやった旨告げたが、長男の自首の勧めには応じなかった。そして、同月五日、辞めた会社に給料を取りに行った帰りに逮捕された。被告人は、逮捕後、接見の折に長男に対して、淋しくてこんな事件をやってしまったと言っていた。

12 なお、被告人の性格について、小・中学校時の同級生は、気の強い男という印象で、それほど頭が良くて成績が良かったわけではなかったが、頭の良い者のグループに入っており、先頭に立って行動し積極的だった印象があるが、卒業後道で会っても、何となくわざと卑下したような態度で、心を開いて話をするような男ではないと思っていた旨述べ、中学三年時の担任は、朗らかで成績は中位で、父親が教育熱心で、被告人には父親に甘やかされて育ったような感じがあったが、手を焼かされたという記憶はない旨述べている。また、実姉は、被告人は、朗らかで活発であったが、短気なところもあり、何か思い詰めるとそれにまっすぐ向かって行く性格である旨述べており、被告人の子供たちも、被告人は、子供たちの小さいころから、短気で自分の思ったとおりにならないと気がすまない性格で、一度こうだと決めたらそれを押し通す人だったなどと述べている。また、被告人の姉や知人らの供述によれば、金銭的に細かく、自分で欲しいと思ったものは、他人の迷惑や思惑を顧ずに貫き通して手に入れるような面があることが認められる。

そして、A子の浮気が問題となった以後の被告人について、他人に対しては普通はおとなしく、人当たりもよく、機転も利いたが、とにかく嫉妬心が強く執念深いという印象で被告人の周囲の人の大方が一致している。A子に対する暴行については、被告人の長男らは、被告人は、子供たちがもの心つくようになったころから、何かにつけてA子に暴力をふるい、酔っぱらって「A子、俺が帰ってきたのに起きねえんか、この浮気しやがって。」などと言っては茶碗等を割り、A子を殴ったり蹴ったり髪を引っ張って引きずり回したり爪でひっかいたりということをしょっちゅうしており、A子がどこかの人と話等すると関係があると疑い、A子の野良仕事等からの帰りが少しでも遅いと「また浮気してきたんか。」などと怒鳴るような具合であった旨供述し、次女は、被告人は、欲が深く執念深く、嫉妬深く、自分の思うようにいかないと暴力をふるい、性的な欲望が激しく淋しがりやである旨述べている。一方、A子は、社交的で話し好きで、通常は他人に話さないような家庭内のことや自分の過去の浮気についても周囲に話してしまうような性格で、強情で、泣きながら被告人に言い返すようなところもあった。

二  鑑定意見について

被告人の本件各犯行時における責任能力については、医師西山詮による鑑定(同人作成の鑑定書並びに第一四及び第一五回公判調書中の証人西山詮の供述部分、以下「西山鑑定」という。)と上智大学教授福島章による鑑定(同人作成の鑑定書及び証人福島章の当公判廷における供述、以下「福島鑑定」という。)の二度の鑑定が行われているが、各鑑定の内容は概ね以下のとおりであると認められる。

1 西山鑑定の意見

(一) 被告人は本件各犯行当時及びその前後において、嫉妬を主題とする偏執性発展(パラノイア、アメリカ精神医学会の診断統計マニュアル第四版--DSM[4]--にいう妄想性障害、以下「パラノイア」という。)の状態にあり、その程度は精神病の水準にあった。これは、嫉妬妄想が長年にわたり発展し、その当時も発展しつつあり、現実検討(現実の認識)がその妄想のためにしばしばゆがめられ、その程度が精神病の水準にあったという意味であって、責任能力を非常に強く障害する疾病条件があったもので、法医学的ないし精神医学的な見地からみれば、責任能力がないと考えられる。

(二) 被告人の場合、二〇代半ば、腰痛症の治療の時から性欲が減退し、妻の浮気といった了解可能な嫉妬がどんどん逸脱し病理性を高め、脳疾患を経てもなお続き、昭和五八年ころには認知の歪みが発生し(A子が創価学会の本山参りの際に皆が居る前でセックスをした旨近所の人から聞いたと被告人が供述していることは、妄想着想と考えられる。)、昭和六二年の寝室の縁側のガラス戸が開けられて夜這いに来たんだと固く信じているところ(以下「ガラス戸の件」という。)で、はっきり妄想所見(妄想知覚)がみてとれ、以後精神病状態が続いていると考えられる。ガラス戸の件の際、A子が「Cが私の手を握って、キスしたり、おまんこに手をつっこんだ。」と誇らしげに被告人に告げたと被告人が言うが、これは信じがたい話で、被告人が己の妄念を他人の口を通して聞いた可能性が強く、妄想による認知の歪曲であろうし、その時、A子の顔にはまだ何か隠しているという相貌があったと言うが、これは妄想知覚ないしそれに近い体験というべきであり、開いたガラス戸を見てCが夜這いに来たと直感し、A子が先夜隠していたのは夜這いの約束であったと悟ったと言うが、これは妄想知覚と考えてよかろう。また、平成三年にCに暴行を加えて傷害を負わせた際に、CがA子との間の浮気を認め、土下座して謝ったというのも、ありそうにない話で妄想による認知の歪みと考えるのが妥当である。被告人は、この妄想のため、外界認知が違い、一般人とは全く別の、自分しか通用しないような世界を作り上げ、仮に悪いことだと思っていても、それを越えてまでやらざるを得ないような世界観ができているから、悪いという判断もできない、仮に悪いとわかっていても自分ではそれを止めることができないという意味で是非弁別能力が著しく障害されている。

なお、パラノイアの妄想は訂正困難であるところ、被告人は、BがA子を囲ったとの考えを警察官の指摘を受けて訂正しているが、これはいろいろ考えた内の一つを訂正したに過ぎず、妄想の全体は訂正していないのであるから、被告人がパラノイアであることを否定するものではない。

(三) 被告人は脳梗塞に罹患したと考えられる。被告人の脳梗塞は、片側の感覚麻痺、嚥下障害、軽い半身不随で治まっていることから、おそらく脳幹部あたりに起こった小さなものと思われるし、痴呆が起こってくるとか知能が落ちてくるとか性格が際立って変わってくるといった精神的に広範な変化がおこると普通生じる兆候は認められないので、被告人の精神状態に脳梗塞が直接影響を及ぼしたとは考えられない(痴呆、脳器質的性格変化は認められない。)ただし、脳梗塞が、性欲減退を介して偏執性発展の維持、進行に寄与した可能性はある。

(四) 脳梗塞発作後の初期の過眠傾向は脳疾患に基づくと考えられる。昭和六二年ころに始まる不眠は必ずしも脳疾患に由来するとはいえない。当時の環境的条件や妄想などを含む不安定な精神状態に起因することが考えられる。睡眠障害(不眠)が被告人の精神状態に特別に顕著な影響を与えたとは考えられない。

(五) 被告人は、平成二年ころから頭の中にいる白装束の人(以下「白い人」という。)に本件各犯行について指示されて実行した旨鑑定人に対して述べているが、この「白い人」は、A子とBやCとの関係に心奪われ、彼らに対する復讐の構想に熱中し、犯罪の実行を次々に決断する意志を擬人化したもので、精神分裂病の場合にみられるような、自我と異質で自我の存立を脅かすような一般的超越的他者とはみられない。「白い人」の体験は、犯行時からあった可能性もあるが、拘禁反応の一症状と考えられる。

2 福島鑑定の意見

(一) 被告人の本件犯行時の精神状態は、脳の先天性奇形(ベルガ腔)に加えて、四〇歳のころ罹患した脳血管障害のためにもたらされた微細脳器質性格変化症状群に相当し、固執性、妄想性、偏執性、感情鈍麻、情勢欠如、情動失禁等の性格変化が顕著であり、かつ嫉妬妄想が持続していた。したがって、自己の行為の是非善悪を弁識する能力はほとんど保持されていたが、その能力に従って自己の行動を制御する能力はかなり低下していたもので、精神医学者としてあえていうなら、心神耗弱と考える。

微細脳器質性格変化症状群とは、脳に器質的な変化(特に形態の変化)が生じた場合、健康な脳とは違った働き方をし、その結果様々な精神症状(性格変化)が起こってくるというものである。被告人が、微細脳器質性格変化症状群であると診断したのは、脳血管障害の発作の前後では性格のかなりの変化が認められ、右病歴があり、神経学検査による異常が現存し、境界脳波が認められ、ベルガ腔とシルビウス氏溝の拡大(脳の全般性萎縮を示す所見)という形態的異常が認められるといった理由による。被告人は、病前(脳梗塞を起こす前)は電電公社の職員として長期間勤務し、前科前歴もなく社会的に大過なく暮らしていたのに、病後は仕事を転々とし、夫婦間の葛藤が強くなり、重大な犯罪を起こしたというのは、病気の前後で大きく変化が起こっているせいだと考えられ、被告人の病前性格から考えて、妻の浮気相手を殺して焼かなければならないと考えるということは理解できず、病的な恨みというような情動が被告人の自我を駆り立て、それに対して被告人は理性や常識によってチェックできなかった、それは脳の障害によって衝動制御能力がかなり低下していたと考える。

(二) 被告人の症状は、妄想という点ではパラノイアと変わらないが、被告人の嫉妬妄想は、精神病の水準にあったもの(パラノイア)とは認められない。その理由は、そもそも、被告人の場合、診断上妄想性障害に優先する器質性障害である微細脳器質性格変化症状群と認められるということもあるが、その他に、『<1>妄想には、真性妄想(ぱっとひらめく妄想でなぜそういう妄想がひらめいたのか心理的に了解できないもの。妄想知覚とか妄想着想といわれるものでパラノイアの診断の根拠となる。)と妄想様観念(人間関係やその状況からその発生が容易に了解できる誤った確信、俗に言う、邪推、勘ぐり、思い込み)の二種類があり、了解可能とは、外的な出来事だけでなく、本人の性格傾向や人生の態度等も考えにいれて了解できるということであるが、西山鑑定が妄想知覚として問題にするガラス戸の件は、前日にC宅の二階で何か性的接近があったとA子が報告していることから、開いたガラス戸を見て夜這いだと考えるのは十分に心理的に理解できるものであって、被告人の妄想は妄想様観念にとどまるし、Bとの関係では、前に実際にA子との不倫関係があり、それが尾を引いているとか思うことは理解できるので、妄想性障害の妄想とはいえない。<2>パラノイアの妄想は、拡大して妄想体系を構築し、嫉妬妄想から出発して相手が迫害者となっていろいろ手を回して自分を迫害するというような妄想に発展するのがほとんどだが、被告人は、A子との浮気を疑った者でもBやC以外の者には特別な感情を帯びた攻撃的な心理には発展しておらず、嫉妬の観念を抱いた人以外には被害感や関係念慮がなく、ほとんど同じ観念が何年にもわたり変化せず続いており、妄想の発展、妄想体系の構築がなされていない。<3>パラノイアの妄想は訂正不可能であるが、被告人は、A子の家出やダブルタイヤの点について訂正している。<4>被告人は、パラノイア患者に特有の性格(強い権利意識。感情が内にこもり、一般的な行動として外に現れることはない。)がなく、各心理テスト(HTPP描画法、風景構成法、ロールシャッハテスト)の所見でもパラノイア的傾向は認められない。』といったことから、典型的な妄想性障害に該当しないと判断されるからである。

(三) 「白い人」は、捜査段階の供述にはまったく見られない話で信用性に乏しいこと、内容が曖昧で空想的であり、被告人の怨念や憎悪や殺意等の情動をイメージ化したもと解されること等から、過去に被告人に実体的な幻覚があったと信じるに足る供述ではなく、無意識的な詐病の意図によって生じた拘禁反応の一症状とも考えられ、本件各犯行時の精神状態を考える際に考慮する必要がない。

三  当裁判所の判断

1 精神の障害の程度、内容について、両鑑定とも、被告人が嫉妬妄想を抱いていたことを認めているものの、西山鑑定は、被告人には妄想知覚(真性妄想)が認められるとして被告人はパラノイアに罹患し、心神喪失状態にあったと考えるのに対し、福島鑑定は、被告人には脳に器質性の異常が認められ、それにより病前の人格とは異なる人格となっていたものであり、心神耗弱の状態にあったと考え、西山鑑定の指摘する妄想は真性妄想ではないとして被告人がパラノイアに罹患していたことを否定している。そして、両鑑定ともに、「白い人」は、被告人の復讐心、殺意等の形象化で拘禁反応とも考えられる旨述べて、本件各犯行時の精神状態を判断するうえで考慮すべきものとはしていない。したがって、被告人の犯行当時の精神の障害として問題となるのは、『<1>福島鑑定の指摘する器質性の異常が責任能力に影響を及ぼすものかどうか。<2>被告人の妄想は、了解不可能な真性妄想であって、被告人はパラノイアに罹患していたといえるのかどうか。』ということである。

2 福島鑑定の指摘する器質性の異常が責任能力に影響を及ぼすものかどうかについて

(一) 福島鑑定の指摘する被告人の脳の異常とは、ベルガ腔とシルビウス氏溝の拡大が示す脳の萎縮であり、ベルガ腔については、「海馬による攻撃性の抑制を低下させる所見であるとする意見もあるが、見るべき症状はないとする意見も多い。いずれにせよ、脳のこの奇形に関する神経学者の研究は十分でない。」と鑑定書には記載され、公判においても、ベルガ腔が攻撃性の強さを規定する一つの要因である可能性は、統計的には否定できないが神経学的には証明されていない旨述べているのであって、ベルガ腔と福島鑑定が被告人の人格変化として挙げる攻撃性亢進との因果関係はいまだ明らかでないというべきであるし、脳萎縮についても、たとえば前頭葉の萎縮が行動をモラルによって抑制する働きを損なうということの証明は統計的なものである旨証言されており、脳萎縮と被告人の人格変化との因果関係もやはり明らかではない。

(二) また、福島鑑定は、脳梗塞の前後で被告人の人格が変化したと考えた理由は、病前は前科前歴もなく、電電公社で長期間大過なく勤めていたが、病後は電電公社も辞めて仕事を転々とし、本件のような重大な事件を起こしていることである旨証言する。しかし、電電公社を辞めた理由は、被告人によれば、めまいがしたり、右半身の手足が思うように動かなくなったためであるとのことであり、被告人の当時の上司によれば、無免許であるのに仕事に車を使用していたこと等のため転職を勧めたとのことで、以後職を転々とした理由も、被告人によれば、仕事がきつかったりしたことによるものであり、雇用主によれば、被告人が収入に不満をのべたり、しばしば問題を起こしたりしたことによるものであって、病後精神能力や知的能力が低下したために仕事が継続できなくなって退職したとの福島鑑定の認定には疑問があるし、前科前歴もないのに重大事件を起こしたとの点についても、被告人のように妻の家出等何らかの葛藤が生じた場合には従前大過なく社会生活をおくり前科前歴がなかった者であっても重大な犯罪を起こすということはまれなことではないし、妻の浮気相手を焼き殺すというのは異常で病的なもので理解しがたいとの点については、後述するとおり、被告人の性格や本件に至る経過、本件各犯行時の被告人のおかれた状況にかんがみれば、決して理解しがたいわけではない。

(三) したがって、福島鑑定の主張する、被告人は微細脳器質性格変化症状群の状態にあり心神耗弱であるとの見解は、直ちに採用することはできず、福島鑑定の指摘する脳の異常所見が被告人の行動等に及ぼす影響については明らかでないというべきである。

3 被告人の妄想は、了解不可能な真性妄想であって被告人はパラノイアに罹患していたといえるのかどうかについて

(一) まず、西山鑑定が妄想所見として指摘する、認知の歪曲や妄想知覚については、以下のとおり疑問がある。A子が創価学会の本山参りの際に皆がいる前でセックスをした旨近所の人から聞いたと被告人が供述していることは、妄想着想と考えられるというが、右の点について、A子が創価学会で会った男の人とみんなの前でセックスをしたということを聞かされた旨の供述はあるが、一方、A子ちゃんは、とんでもない人でたまげたと言われ、その話を聞いてA子は尻軽女なのでおそらくおまんこでもしてきたんだろうと思ってそう聞いたところ、それ以上のことは話してくれなかった旨の供述もあること、この供述は、被告人が公判廷において取り調べの結果事実に反して供述した点として挙げた証拠隠滅の事実や小倉事件についての供述を録取したものではないこと、公判廷での「公衆の面前でそういったことをしたということではないんですね。」という質問に対して被告人は「そのへんは、確認しないから分からないです。」などと述べていることからすると、A子が創価学会の本山参りの際に皆が居る前でセックスをした旨近所の人から聞いたという前提で認知の歪曲があったととらえるのは問題がある。また、西山鑑定は、ガラス戸が開けられて夜這いに来たんだと固く信じているのは妄想知覚であり、右ガラス戸の件の際、A子が「Cが私の手を握って、キスしたり、おまんこに手をつっこんだ。」と誇らしげに被告人に告げたと被告人が言うが、これは信じがたい話で認知の歪曲であろうし、その時、A子の顔にはまだ何か隠しているという相貌があったと言うのも妄想知覚ないしそれに近い体験と言うべきであると述べており、確かに、当時Cは七〇歳近い年齢であったこと、A子は被告人と同室で就寝していたことからすれば、夜這いを確信するというのはいささか常軌を逸しているかのようにみえる。しかし、前述のとおりA子が過去幾度か浮気をし、被告人が問いつめるとA子自身浮気を認め、被告人が暴力をふるうなどしてA子の浮気を責めてもA子は被告人が浮気を懸念するような言動を繰り返していたこと、被告人が嫉妬深く、右のようなA子の過去の言動もあって、A子の帰りが少し遅くなっただけでも浮気してきたのではないかとA子を責めるほど長年にわたってことあるごとにA子の浮気を懸念していたこと、被告人はA子との浮気を疑った場合でも相手から否定されればそれ以上追求しなかったこともあるが、これは相手の名刺をA子が持っていたという程度のA子に対する性的な関心が明らかでない場合であって、Cの場合には、ガラス戸の件があった前日に、A子が被告人に対しわざわざCから性的接近があった旨告げるというCがA子に性的な関心をもっていたと誤解しても仕方のない状況があったこと等からすれば、まったく荒唐無稽で異常な疑惑とはいえず、前述のとおり福島鑑定の十分に心理的に理解でき、妄想様観念にとどまる旨の意見が是認でき、了解可能である。A子が「Cが私の手を握って、キスしたり、おまんこに手をつっこんだ。」と誇らしげに被告人に告げたというのも、ガラス戸の件に関する被告人の供述の中には、確かに西山鑑定が指摘する供述もあるが、「A子が、Cさんの二階に上った時、Cさんが私の手を握ってきた等と言って、いかにも私はもてるんだと言わんばかりに有頂天になって話していたので、俺も頭に来てしまい、『手を握られただけじゃなかんべ、おまんこさ手を突っ込まれたんだべ。この馬鹿野郎、親父の事何だと思ってるんだ。』と言ってA子を怒鳴りつけるとA子はそんなことないと言って弁解していた。」という供述もあることからみて、この点を認知の歪曲とする西山鑑定の判断は、前提事実の認定に疑問があるし、A子の顔にはまだ隠しているという相貌があったというのも、この時A子がCから性的接近があったことを告げていること、A子が過去に浮気や浮気を懸念させるような言動を繰り返し、被告人に問いつめられてもかならずしもきちんと否定しなかったこと、そのため、被告人が嫉妬心やA子に対する猜疑心にとらわれていたことを考えると、この点を妄想知覚とする西山鑑定の意見は速断にすぎると考えられる。また、平成三年にCに暴行を加えて傷害を負わせた際に、CがA子との間の浮気を認め、土下座して謝ったというのも、妄想による認知の歪みと考えるのが妥当であるとの点についても、当時のCの供述を録取した書面(甲94)によれば、CがA子との浮気を認めて土下座した事実は認められず、被告人の当時の日記にも「裏の畑、C、排認(否認)する」との記載があり(甲103添付のメモ)、事件当時は被告人は認知の歪み等起こしていなかったと認められる。もっとも、被告人は、その後元暴力団員にC方へ謝罪文を取りに行くことを依頼した際にはCがA子との浮気を認めている旨告げており、捜査公判を通じてCがA子との浮気の事実を認めた旨供述しているが、公判において、前記のメモについて言及されると「どうしたんだか、まるっきり逆に書いてしまったんです。」「自分で書いて、ああこれは間違っちゃった、それで字見たら、字も、当時は分からなくて、辞書をひいて直すかと思ったんですけど、ほかの人に見せるものじゃないし、まあ、いいやと思って、そのままにしました。」などと不合理な弁解をしていることからすると、被告人は認知の歪み等起こしていないのであり、Cが認めたとの供述は、他人の助力を得たり、自己のCへの要求や行為を正当化するためのものではないかとの疑問が残る。

(二) また、福島鑑定では、被告人の妄想決、典型的なパラノイアの妄想とは異なるとの意見が示されている。第一に、パラノイアの妄想は訂正不可能なものである(両鑑定ともこの点は一致している。)ところ、被告人は、BがA子の荷物を運び出し、A子を囲っていたとの考えを後に訂正している点について、西山鑑定は、妄想の核心部分は訂正していないとするが、B事件は、被告人によれば、BはA子と長年関係をもっており、A子の家出はBがA子を囲ったものと考えられたのに、BがA子の居場所を言わなかったため、長年の恨みをはらすために行ったものであり、BがA子を囲っていると考えたことが主たる動機であって、右の思い込みは被告人の嫉妬妄想の核心ともいえるものであるから、右の西山鑑定の見解には疑問がある。第二に、福島鑑定によれば、パラノイアの妄想は妄想体系を構築するというが、被告人の場合、BとC以外にも、A子との浮気を疑った人物はいるが、一度A子とその人物を問いつめはしたもののその後その人物への嫉妬は持続せず、BがA子を囲っている場所として書き置きに記した家へA子がいないか尋ねていった際にも、家人に拒絶されると諦め、その後、その家の者がBとぐるになってA子を匿っているはずなのに自分には隠しているというようにBへの嫉妬と関連して妄想を発展させているわけではないし、平成三年九月にA子の居場所であった天理教会に放火したのは、A子を訪ねる度にすげなくした右教会の会長や教会の男たちへの仕返しであって、A子は天理教会の者たちとも浮気しているなどと考えて嫉妬にかられて放火したわけではなく、被告人の嫉妬妄想の対象は、A子と過去に関係が実際にあったか、またはA子の言動からA子との性的接近があると考えられたBとCに限定されているものであって、福島鑑定のいうような妄想体系の構築は認められない。第三に、福島鑑定によれば、心理検査の結果では、パラノイア的傾向は認められず、パラノイアにはない特徴が認められるというが、西山鑑定による心理検査でも、右福島鑑定の指摘と矛盾する所見は認められない。

(三) 以上のとおりであって、被告人の妄想は真性妄想であり、被告人はパラノイアに罹患しているとの西山鑑定の見解には疑問があって採用できない。

4 しかし、被告人の妄想が真性妄想かどうかについて西山鑑定と見解を異にする福島鑑定も、被告人が、主として嫉妬妄想だが、妄想というような病的な観念を持っていたという現象の認識では、西山鑑定と一致しており、その原因が脳の器質的なものか、そうでないかという原因論で意見が分かれたのであって、妄想という点については、パラノイアとあまり変わらないが、普通のパラノイアには見られない症状が被告人の場合にはたくさん見られるので、パラノイアと診断するよりも、脳器質性障害と診断したほうが、被告人の持っている症状をうまく説明できるだろうということで、自分は後者を選んだ旨証言している。

そこで、西山鑑定も福島鑑定も一致して認める嫉妬妄想の存在という現象を前提としたうえで、これが、本件各犯行時の被告人の責任能力を喪失させ、または、著しく低下させていたといえるかどうかということについて、本件犯行の動機、態様、前後の状況等をも総合して検討する。

5(一) 妄想による支配の程度について

前述のとおり、被告人の妄想は、真性妄想と考えるには疑問があり、核心部分について訂正していること、妄想の対象が限定されていることからみて、妄想が、強固で揺るぎ難く、被告人の世界観全体を支配しているとまではいえない。

(二) 判示第一の事実(以下「B事件」という。)について

(1) 動機について

被告人によれば、B殺害は、BはA子と長年関係をもっており、A子の家出はBがA子を囲ったものと考えられたのに、BはA子の居場所を言わなかったため、長年の恨みを晴らすために行ったもので、殺害後遺体を焼毀したのは、殺すだけでは恨みが晴れなかったからということである。

まず、被告人が、A子の浮気を懸念した場合、その相手をBであると考えることは、A子とBが、実際に関係をもったことがあり、それを被告人が知っていたことからみて、全く不自然ではない。もっとも、A子とBが関係をもったのは昭和四〇年ころであり、以来平成二年のA子の家出に至るまで長年A子とBの浮気を疑い続けたことはいささか常軌を逸しているといえなくもないが、被告人が執念深く嫉妬深い性格であったこと、A子が長男出産後パート先の社員と浮気をし、それを知った被告人に責められ暴力をふるわれたにもかかわらず、Bと関係をもつというように、被告人の心情や暴力などもかえりみず浮気を繰り返した事実があること、その後もA子は、被告人がA子の浮気を心配して洋服を切り刻むなどさまざまな嫌がらせをしたにもかかわらず、カラオケ屋に通っては近所の男性と歌ったり、男性の名刺を持っていたり、自らの浮気を周囲の人間に話して回ったりというように被告人に浮気を懸念させるような言動を繰り返していたこと、被告人がBとの浮気を疑って責めるとA子は必ずしもきちんと否定せずに被告人に言われるまま浮気を認めるような返答をしていたこと、特に脳梗塞に罹患した後は被告人とA子との性的関係も思うようにはいかなくなっていたこと等を考えると、被告人が、長年にわたりA子とBとの浮気を疑い続けたことはあながち理解できないことではない。そして、被告人が、A子の家出はBに囲われたものであると思い込んだ点についても、被告人はA子とBとの関係が継続していると考えていたこと、A子は以前Bの経営する建設会社で土方仕事をしていたこと、A子は家出に際し地下足袋など土方仕事で使う物を持ち出していたこと、被告人がA子の家出後今市市内及びその周辺地域でA子を探し回った際、Bが送迎する従業員の中にA子と同年輩の五〇代の女性がいることを聞き込んでいたこと等から見て、理解できないことではない。

以上のように、被告人にとって、BとA子との関係は長年にわたるものと考えられ、けっして過去のことではなく、A子の家出はBとの浮気が原因と考えるのに十分な理由があったこと、Bを待ち伏せしてA子の居場所を問いつめても答えがなかったことから、Bへの恨みがますます深まりその殺害を決意したということは、十分理解でき、その動機は了解可能なものである。もっとも、被告人は、過去に被告人がA子の浮気を知った際に浮気の相手方に金銭を請求したりすることはあっても暴力をふるったりして事件を起こしたことはなかった。しかし、過去の浮気の際には、A子は短期間家出することはあっても結局被告人のもとにとどまっていたのに比べ、A子が家出して家庭が崩壊し、A子を捜し回っても行方がわからない状態となっていたB殺害を決意した時とは、被告人のA子の浮気相手に対する怒り、恨みは比べものにならないであろうこと、また、A子が被告人のもとにとどまっている間はA子という怒りをぶつける対象があり、A子との家庭生活を維持するために相手への攻撃を我慢するという動機付けが働いたであろうこと、加えて、被告人は、A子との結婚当初から、些細なことでA子と喧嘩するとA子を殴ることがあり、パート先の社員との浮気を知った後は、A子の浮気を責めて暴力をふるい、A子が近所に助けを求めて駆け込むほどであり、その後BとA子との関係を知った被告人はA子を責めて殴ったり蹴ったりすることを繰り返していたこと等からみて、被告人は嫉妬深く、暴力の直接の対象はA子に限られていたとはいえ腹の立つことがあると暴力をふるう傾向がもともとあること等からみて、被告人が嫉妬を動機として殺人という行為に走ることは、被告人の右状況や性格から見ると、あり得ないことではなく、十分了解できる。

(2) 犯行態様等について

Bの殺害方法は、前述のとおり、Bをワゴン車の荷台に固定し、立木に縛り付けたロープをBの首に巻き付けたうえで右ワゴン車を発進させ、一五分から二〇分間その状態においてBを窒息死させるという、死に至るまでに非常な苦痛を伴う残虐なものであるが、BとA子との不倫疑惑が二〇数年来のものであり、被告人が執着したA子を失い被告人の家庭が崩壊したのはBのせいであると被告人は考えていたのであって、被告人のBへの恨み憎しみは積年の恨みともいうべきものであること、被告人自身首を絞められたBの姿を見るのが気持ち悪くて少し離れて死ぬのを待っていたのであって、Bの苦しむ様子を平然と見ていたわけではないこと等を考えると、殺害方法等の残虐性が被告人の精神面の異常性の発露ということはできない。さらに、被告人は、被告人の経歴及び第一の犯行に至る経緯5認定のとおり、Bを待ち伏せし、逃走を防ぐため準備した手錠等でBを拘束して人気のない林道にまで連行し犯行に及ぶなど、周到かつ冷静な計画に基いて合目的な行動をとってB殺害を実行していること等を見ると衝動的な面はうかがわれず、自己の行為が許されないものであることを認識し、行動を制御していたものと考えられる。

(3) 犯行後の行動等について

被告人は、殺害後、Bの遺体を載せたままのワゴン車で殺害現場と自宅とを往復しているが、これは、自力ではBの遺体をBの車に移動させることができなかったことからやむなくしたことである。また、被告人は、殺しただけでは恨みは晴れないということでBの遺体を焼燬し、犯行の記念のためにBの死を報じる新聞記事とそのコピーを保存していたが、被告人がもともと執念深い性格であること、Bへ対し積年の恨みを抱いていたことを考えると、これも異常とはいえない。さらに、被告人は罪証隠滅の意図を否定しているが、Bに遺書のごとき書き置きを書かせ、B殺害に用いたロープ等やBの遺体の運搬に使った渡り板は投棄するなどBの死を自殺に見せかける偽装工作や罪証隠滅工作と評価できる行為を行っていることから見て、自己の行為が許されないものであるということを十分に理解していたものと考えられる。被告人は、Bの遺体発見後警察の事情聴取でも犯行を否認し、C事件で逮捕された後もしばらくはBの死について自己の犯行を認めていなかったこと、一旦自白した後も再度否認し、その理由を「本当の事を話す事が恐ろしく、それで嘘をついてしまったのです。」「Bさんを殺したときの光景を思い出すと恐ろしかったので。」などと述べていること、「Bさんには何と言って詫びてよいか分りません。本当に申し訳ないことをしたと反省しております。」などと供述し、犯行現場への引当たりの際、自動車のフロントガラスと思われるガラス片が散乱していた所で、「警察の人に無理を言って」「申し訳ない気持でBさんに成仏して貰いたいと念じて」線香を上げさせて貰い、手を合わせて拝んできたこと等、殺害を悔やみ被害者を悼む心情の現れが見られることからいっても、被告人は、自己の犯行が許されないものと理解しながら、あえて犯行に及んだものと認められる。

そうすると、B事件当時の被告人の責任能力には疑問はないものといえる。

(三) 判示第二及び第三の事実(C事件)について

(1) 動機について

被告人によれば、昭和六二年ころC方にそば屋の品書きを頼みに行った際、Cから性的接近があった旨A子から聞き、その翌朝閉めておいたはずのガラス戸が開いていたことから、CがA子に夜這いに来てA子と性交渉をもったと考えたものの、その時はCを問いつめること等はしなかったが、A子の家出後の平成三年七月、Cの姿を偶然見かけてCがA子と浮気していたことを思い出して許せないと思って暴行を加え、同年一〇月ころ、Cに謝罪文を書かせようとしたところ、CはA子との浮気を否定したため失敗し、以後Cの近所で生活することに耐えられず東京都内等で生活していたが、度重なる説得にもかかわらずA子が被告人のもとに戻らず、ついにA子との離婚を決意してA子に離婚届を送付した平成五年六月ころから、一人になった自分自身が惨めで自分の人生はめちゃくちゃになったと思い、自分の家庭を崩壊させたのはA子と浮気した三人の男たちであると思い、その一人であるCがA子との関係を否定し幸せに家族と暮らしているのは許せないなどと考え、Cへの憎しみがこうじてついに殺意を抱き、C事件を起こしたというのである。つまり、C事件の動機は、被告人が、A子とCの浮気(夜這い)を信じ込んだことからCに対して憎しみを抱いたことにある。

まず、開いていたガラス戸を見てCが夜這いにきたと信じ込んだ点については前述の通り了解可能である。もっとも、被告人のCに対する恨みというのは、昭和六二年当時の浮気という過去の出来事に対するものであって、それに基づいて平成三年に畑での暴行事件を起こし、平成五年にC事件を起こしたというのは、前述のB事件のように事件当時までA子との関係が続いていたと考えて起こした事件と違っていささか唐突との感がないわけではない。しかし、この点も、被告人が、ガラス戸の件の当時は「ソバ屋を開店させる時だったので、俺が騒わげば家族が駄目になってしまうのではないかと考え、腹立たしさをこらえながら我慢した。」と述べており、当時、被告人は脳梗塞に罹患し長年勤めた電電公社を退職した後、手持金を全部費やし銀行から借金もして長男と共にそば屋を開店しようとしていた時で、家庭の維持を第一に考えてA子の浮気を表沙汰にしないのは無理からぬことであること、平成三年に畑での暴行事件を起こした時は、A子が家出しており、被告人が幾度もA子を連れ戻そうとしたにもかかわらずA子の頑強な拒否の態度のためにこれもかなわない状態にあったこと、A子と関係をもった他の二人は既に病死または被告人に殺害されて亡くなっていたことを考えると一人生きて家族と幸せに暮らしているCを憎しみの対象とすることは理解できること、被告人は以前からかっとすると暴力に訴える傾向があることを考えれば、被告人の異常性の発露であるとはいえない。そして、平成五年にCの殺害を決意し、実行したことについて、被告人は、「アパートに一人で帰り、食事を作るため包丁や鍋を持っていると自分自身が哀れで、惨めでどうしようもありませんでした。CさんはA子と浮気をし、俺の人生を滅茶苦茶にしたのに、Cさんは家族と幸せに暮らしている……悔しくてCさんが憎くなり、眠れない日が続きました。このころから話し合いでは通じない相手であるCさんを殺してやろうと思うようになりました。」などと供qしているとおり、当時、被告人はA子に離婚届を送付して、決定的にA子を失い、五〇歳代半ばにして生まれ育った自宅を離れて一人孤独なアパート暮らしをしている状態であったことを考えると、我が身の境涯に引き比べてA子との浮気も否定し妻や子に囲まれ幸せに暮らしていると考えてCをうらやみ憎む気持ちも一段と強くなったであろうことは容易に理解でき、それが殺意へと高まるのは十分了解できることである。

以上、Cの殺害についての動機は了解可能であるが、被告人の憎しみの対象がCであって、D子やEには何の恨みもないことを考えると、D子やEに対する犯行は合理的な動機がなく、被告人の精神の異常性を示唆するものではないかとの疑問も生じうる。しかし、被告人が計画したCの殺害方法とは、「家に灯油を撒いて火をつけCさんを焼き殺してやろう」というものであり、そういう方法をとる以上Cの側に寝ているであろうD子が巻き添えになることは当然予想されるところであって、「(Cの)そばにいるのだから一緒に死んでもらうしかない」「家族が焼け死んでも仕方がない」という形での殺人の故意を抱くのはむしろ自然で、不合理なことではないし、Eについては、二階にいると思っていたEが予想に反して一階の茶の間にいたことから生じた咄嗟の犯意であって、いずれも積極的な殺意や傷害の故意とはいえず、了解可能なものであるから、被告人の異常性の証左となりうるものではない。

(2) 犯行態様等について

被告人は、C方に深夜侵入し、Fと共にEを多数回殴打して傷害を負わせ、刃物で、Cの前胸部を四回、D子の左前胸部及び右頚部を突き刺して二人を殺害した後、Cの身体等にガソリンを撒いて放火し、CとD子の遺体もろともにC方の家屋を焼燬したものであって、しかも、被告人は、Cの身体にガソリンを撒いた理由について検察官に対し、「火あぶりという気持ち」からである旨供述し、「スーッと火がはしるようにCさんの体に燃えてゆく」有様を見ていた旨警察官に対して供述している。こうした犯行態様や犯行時の被告人の態度が被告人の精神状態の異常性を示すものではないかとの疑問も生じうる。しかし、被告人のEに対する暴行やCらに対する殺害方法は傷害や殺人の行為として格別異常なものとはいえないし、Cの身体にガソリンを撒いて焼燬した点については、火をつけた理由について「家に火をつければ証拠がなくなるだろうと考え」とも供述していることを考えると、放火が単に被告人の常軌を逸した冷酷さの現れということはできないし、燃える様を見ていた点も、被告人のCに対する憎しみを考えると異常なこととはいえない。

さらに、前述のとおり、被告人は、Fと相続し、逃走に至ることを計画し、用具等準備したうえ、寝た後を確認して侵入し短時間で犯行を合理的に行っていること等を見ると、自己の行為が許されないことを認識しながら、行動を制御していたものと認められる。

(3) 犯行後の行動等

被告人は、犯行の発覚を防ぐアリバイ工作のためにFに協力を依頼していること、Fに協力を依頼するに際し、Cを焼き殺すことは大それたことであり、それなりに具体的な計画を話さないと引受けてもらえないのではないかと考えたこと、犯行後直ちに逃走し、それまで居住していたアパートを引き払い、今市市内の自宅にももどらずにカプセルホテルを転々としていたこと、逮捕後の取り調べで、「Cさん夫婦には大変申し訳ないと深く反省しております。Cさん夫婦には許されるものではありませんが、自分でできるだけのことをやって罪をつぐないたい。」などと述べていることから見て、自分の犯行が許されないことであるとの認識は十分あったものと認められる。

以上に加えて、B事件当時とC事件当時とで、被告人の嫉妬妄想の程度が質的に変化したり、重くなったとの証左はなく、被告人の精神状態には、格別取り上げる程の変化はなかったといえることを併せ考えると、C事件当時も被告人の責低能力には欠けるところはないというべきである。

(四) 以上のとおり、妄想による支配の程度、被告人の性格、犯行に至る経緯等から見た各犯行動機の了解可能性、犯行態様、犯行後の被告人の行動等の諸事情を総合して判断すると、被告人は、本件各犯行時、いまだ事理の弁識能力もしくはこれに従って行為する能力が欠如した心神喪失状態、又は、これらの能力が著しく減弱した心神耗弱状態にはなかったと認められる。

よって、弁護人の、前記主張は採用しない。

(量刑の理由)

一  本件は、被告人が、Bが妻と長年浮気を続けたうえに妻を家出させて囲ったものと思い込み、Bに対して恨みを抱いて同人を絞頚して窒息死させて殺害した事案(判示第一、B事件)及び、その約三年後、妻は過去にCと浮気していたと思い込んでいたところ、妻が家出し、離婚が決定的となったことから、自己の家庭を崩壊させた妻の浮気相手の一人はCであると考え、憎しみを募らせて、Fと共謀のうえ、その場に居合わせた長男のEに対して手拳で数回殴打するなどの暴行を加えて全治約二四日間を要する傷害を負わせ、C及びその場に居合わせた妻のD子をいずれも刃物で突き刺して失血死させて殺害した後、C方居宅に放火してこれを全焼させた(判示第二、第三の一、二及び三、C事件)という事案であり、何よりもまず、約三年の間に合計三人を殺害し、その生命を奪ったという点において、まれに見る事案であり、その刑事責任の重大さは明白である。

二1  そこで、B事件についてみるに、本件の動機は、被告人がBに対して恨みを抱いたことにあるところ、確かにBは過去被告人の妻と肉体関係をもった事実はあるものの、被告人が思い込んだような二〇数年にわたる関係の継続や被告人の妻を囲ったなどという事実はなく、Bには被告人に殺されなければならないようないわれはないにもかかわらず、被告人は自己の勝手な思い込みに基づいて犯行に及んだものであり、身勝手で短絡的な動機による犯行であるといわざるを得ない。Bの殺害方法は、Bの身体をタオルや手錠を用いて被告人のワゴン車の荷台に固定し、付近の立木に結びつけたロープをBの頚部に巻いたうえで、同車両を発進させてロープが張りつめたところで同車両を停めることによってBの頚部を絞め付けて窒息させて殺害するというもので、ロープが張りつめるとBは苦しそうな息をし始め、ツーツーというような往復いびきのような音を立て、死んだと分かるまで一五分から二〇分かかったというものであり、その間Bを恨んで右殺害行為をおこなった被告人自身もずっとその姿を見ているのが気持ちが悪かったというものであるから、死に至るまでのBの苦悶は壮絶であったと推測される。右犯行は、確定的殺意に基づくものであり、しかも、被告人は、ロープ、手錠や書き置きを書かせるための便箋等を前もって準備し、Bを待ち伏せして手錠を掛けてその逃走を防ぎ、人気のない山間の林道まで連行したうえで殺害しており、犯行後、Bの遺体を焼燬し、殺害に用いたロープ等やBの遺体の運搬に用いた渡り板を投棄して罪証隠滅し、Bに遺書めいた書き置きを書かせて自殺を偽装するなどしており、計画的で誠に周到かつ狡猾な犯行であること等も併せ考えると、本件の犯行態様は誠に残虐かつ悪質であるといわざるをえない。

Bは、身体の弱った老母をいたわりつつ子や孫に囲まれた和やかな生活をおくっていたもので、被告人に殺されなければならないような落ち度はなかったにもかかわらず尊い生命を奪われ、非業の死を遂げたものであり、しかも、被告人に待ち伏せされ殺害現場に連行されてから殺害までの約三時間、手錠等で拘束され被告人のなすがままの状態で死に至る状況に直面させられたうえに、前述のように絶命するまで一五分から二〇分も経過したものであったことを考えると、その恐怖、苦痛は察するに余りあり、これに加えて、遺体が焼燬されて自他殺の判別が困難となり、被告人に書かされた書き置きから自殺が疑われたうえに、被告人は警察の事情聴取に対し犯行を否認し、犯人が判明しないまま犯行後約三年が経過したこと、ガソリンを撒かれたうえで火をつけられたため、Bは、炭化し、骨の一部まで焼失してわずか約一一三センチメートルの塊となって、人としての姿形さえ認められず生前の面影を全くとどめない状態で発見され、その遺体に対する畏敬の念さえも著しく損なわれていることも併せ考えると、Bの無念さはいかばかりかと思われる。Bの家族は、Bには自殺の理由も見あたらず、書き置きの内容も不審なもので、その名宛人が被告人になっていたこと、Bの死の前の数か月間被告人らしき人物がBを追い回していたこと等から、Bは被告人に殺害されたのではないかと疑っていたが、被告人は何をしでかす人物か分からないとの風評もあり、捜査も難航して、約三年もの間やり場のない怒りと悲嘆にくれていたもので、Bの長男は公判廷において、焼け方が非常にひどく、遺体が確認できない状態で、その焼けこげた遺体のまま埋葬せざるを得ず、とにかくつらかったこと、まともに遺体を見ていないので、一周忌が過ぎるまで亡くなったという実感も湧かなかったこと等を述べ、「(被告人は)とにかく、憎いです。心の底から憎いです。できることなら、この両手で父親が殺されたのと同じ手口でぶっ殺してやりたいです。」などと容易に癒えない深い悲しみと被告人への激しい怒りを吐露し、「私ども遺族は、長くつらく、悔しい日々を過ごしております。早く、この悔しさ、つらさから解放されたいです。それには、甲野太郎という人間が一日も早くこの世から抹消されることだと私ども遺族は思っております。一日も早く死刑並びに刑の執行をお願いしたいと思います。」と極刑を希望し、他の遺族も同様の心情である旨述べているものである。

2  次に、C事件について見るに、Cについては、A子と関係を結んだ事実が全く認められず被告人の勝手な思い込みに基づくものであるうえ、何ら恨みのないはずのD子については、Cのそばにいるというだけの理由で殺害し、Eについては、被告人の予想に反してC方一階にいたことから、C夫婦殺害という所期の計画を遂行すべく咄嗟に攻撃したもので、C事件はB事件にも増して身勝手で短絡的な動機によるものであり酌量の余地はない。そして、Cについては、刃物で四回身体の枢要部である胸部を刺して殺害し、刺創の創洞長は最も浅いもので約四・八センチメートル、最も深いもので約九・七センチメートルでいずれも胸腔内に達するもので、一つは心臓内まで達し、他の三つも肺に損傷を与えており、最も高度な損傷は、右肺を貫通して大動脈にも損傷を与えていること、D子についても、やはり正鋭な刃物で身体の枢要部である頚部及び胸部に各一回損傷を与えて殺害し、頚部の刺切創は右総頚動脈に損傷を与えており、胸部の刺創は、二度突きされたもので、創洞長約五センチメートルで胸腔内に達し左肺に損傷を与えていること、しかも、同女がFの暴行によって倒れているところを刺したこと等その殺害方法はいずれも残虐なものであるし、Eに対する暴行は、Fとこもごも、Eの顔面、頭部等を多数回殴打するという生命身体に対する危険性の高いものである。右C夫妻の殺害は確定的殺意に基づくものであり、さらに、アリバイ工作のための協力者としてFを犯行に引き込み、C夫妻を殺害し居宅に放火するための刃物、スタンガン、ガソリン、灯油等の道具を準備し、犯行後の逃走経路を決め、逃走に使用する自動車を用意したうえで、深夜、Cらが寝静まるのを待って侵入し、無防備な状態にあるところを突然襲うなど計画的で周到な犯行であること、殺害行為後に行った放火行為も、深夜住宅が近接する地域において放火するという延焼の危険性ひいては近隣住民の生命、身体、財産に対する危険性が極めて高いものであること等も考え併せると、その犯行態様は、残虐きわまりなく悪質かつ危険なものといわざるを得ない。

C夫妻は、胃ガンを患ったD子の身をいたわりつつ、三女が主催する書道教室の子供達の面倒をみるなどして幸福で充実した生活をおくっており、被告人らから殺されるような理由は全くなかったにもかかわらず、深夜、自宅で就寝中に突然襲われ、刃物で刺されて尊い生命を奪われ、非業の死を遂げたものであり、その恐怖、苦痛、無念の思いは察するに難くなく、これに加えて、ガソリンを撒かれたうえで火をつけられたため、二人とも黒こげの状態で発見されており、その遺体に対する畏敬の念も著しく損なわれているものである。また、Eも、深夜、被告人らから自宅で襲われ、加療約二四日間を要する傷害を負わされ、最愛の両親を殺害されたうえにその遺体もろともEが所有し現に居住していた自宅を焼かれたものであり、犯行後被告人が逮捕されるまでの間、本件の犯人であるとの疑いまでかけられていたことをも考え併せると、Eが本件犯行によって被った肉体的かつ精神的苦痛は計り知れないほど大きいことが容易に推測され、実際Eは警察官に対し、「もし私が家を飛び出し、救けを求めに行かなかったら、私も、父や母と同じ様に間違いなく殺されていたはずです。考えてみただけでも身の毛のよ立つような、なんて恐しいことでしょう。」などと当時の恐怖を語り、「父や母の無念さを思うと、許されるのであれば、甲野に敵討ちをしてやりたい気持ちで一杯です。」などと述べ、公判廷においても、「深夜、いきなりおそわれ、刺殺された両親、それがどれほどの恐怖なのか、苦痛なのか、甲野に身をもって分かってもらわねば両親は浮かばれない。」「甲野の、本当の感情的なものによって殺されたというその苦しみ、甲野に、これ、味わってもらわなかったならば、遺族としても、私としても、気持ちの持っていくとこがございません。」などと深い悲しみと怒りを吐露して「合法的な極刑、すなわち死刑を望みます。」と極刑を希望し、E以外の三人の子やCの兄弟や他の遺族も異口同音に極刑を希望しているうえ、Cらの実子四名は平成九年九月被告人に対して二〇〇〇万円の慰謝料請求訴訟を起こし、事件後四年を経過しても癒されない、遺族らの激しい悲しみと怒りを表している。

なお、本件放火による被害額は約八三五万円にものぼり、Eは生活の場をも失ったことをも考えると本件放火による経済的な損害も看過し得ない。

3  被告人は、B事件については、単独で計画して実行し、C事件については、共犯者がいるとはいえ、首謀者として殺害方法等一切を計画し、実行にあたって躊躇した共犯者を半ば脅すようにして犯行に引き込み、Eへの暴行後共犯者が逃亡した後も一人とどまってC夫妻の殺害と放火という所期の計画を敢行したものである。ところが、被告人は、現在に至るまでBやC夫妻の遺族等に対して何ら被害弁償等の慰謝の措置を講じていないのみならず、捜査段階で犯行後の心境について、「(Bの死体発見を報じる新聞記事を見て)長年の恨みをやっとはたすことができたと新めて感じました。」「(炎がCの体のうえを走った様子を見て)早く謝ってくれれば殺さずに済み、こんな目に合わさずに済んだのにと思いました。」などと供述していること、C事件の犯行状況について捜査公判を通じて不自然な供述をし、D子への殺意について捜査では一旦認めたものの公判では否認に転じ不合理な弁解に終始していること等を考えると、真摯に反省しているものかどうか疑わしい。加えて、B事件という残虐重大犯罪を犯したにもかかわらず、Cに対し暴行して傷害を負わせたり、元暴力団員を頼んでCに対し慰謝料を請求しに行ったりしたうえに、ついに約三年後にまたもやB事件以上のC事件を起こしたという一連の経過や、各犯行の動機、態様、C事件は、直接の恨みの対象であるCのみならずそのそばにいたD子やEにも攻撃を加えている点等B事件にも増して残虐かつ悪質であること等から見て、被告人の粗暴性や不満を募らせ恨みをもつと重大な犯罪をものともせず行う反社会的で生命を軽視する性向は明らかであり、しかもそれが次第に強まっていると認められる。

また、本件各犯行は、いずれも狭い地域社会において犯罪とは無縁な者を突然襲った重大な事件であること、B事件は、前述のような事情で三年もの間犯人が分からずじまいであったこと、C事件は、深夜閑静な住宅地で犯された老夫婦殺害、放火事件で、Eが隣家に助けを求め早期に消火活動が行われたために大惨事には至らなかったものの、隣家に延焼の被害も生じ、平穏な地域社会に多大な不安を与えたものであること等、本件各犯行の社会に及ぼした影響の大きさと一般予防の点も無視し得ない。

以上の諸事情を併せ考慮すれば、被告人の刑事責任は極めて重大である。

三  したがって、被告人は、B殺害現場への引当たりの際、自らすすんで線香を手向けてBに対し手を合わせ、第一二回公判において、「人の尊い命を奪ったあれですから、私の命を捧げるほかないと思って考えています。」などと供述して、被害者を悼み、自らの責任の重さを受けとめていると認められる言動も見受けられること、本件の背景には、被告人が、夫婦仲が円満でなく、妻が家を飛び出してついには離婚することになり、孤独な状態に陥っていたことがあり、被告人が右のような状態に陥ったことについては、妻子ら周囲の者が指摘する嫉妬深く執念深く家族にしばしば暴力をふるった被告人自身に責任があるのはもちろんであるが、一方、妻の過去の不行跡や、特に脳梗塞に罹患した後、生活が不安定になり、妻との性的関係も思うようにいかなくなった焦燥感に妻の言動もあいまって猜疑心と嫉妬のとりことなったという、被告人にとって不運な事情もあるのは否定できないこと、B事件を起こすまではさしたる前科はなく、病前は電電公社職員として真面目に勤めて大過なく社会生活をおくっており、病後も、嚥下障害が残って普通の食事ができないなど不自由な状態の中で、饅頭の行商をしたり、ダンプの免許を取得して働くなど、被告人なりに努力して生活してきたこと等被告人のために斟酌すべき事情を最大限考慮し、これに加えて、死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、生命の尊さは等しく被告人にも妥当する普遍の原理であることや近時の死刑に関する内外の情勢等に十分配慮したとしても、本件各犯行の罪質、動機、態様、結果、被害感情等を併せ考えると、被告人の罪責は法の予想する最も重い部類に属するといわざるを得ず、誠に重大であって、その罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑をもって臨むのは止むを得ないものと判断される。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田公一 裁判官 飯淵 進 裁判官 間 史恵)

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